SQ Life 木精占い
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Lesson 100
わたしの役割は、神の救いの計画において、欠くことのできないものです。

Lesson 101
神がわたしに望んでいるのは、完璧な幸福です。

ほんの少しわたしを悩ませていた物事に自分の中で結論が出た。
そして、解放した。

自分の望みが本当の神の意志なのかは、まだ判らないのだけれど、今日出した結論が私の望む方向に向かえば、それは嬉しいし、違うところに向かうとしたら、それは氣づきになる。

わたしはそんな自分を赦そうと思う。
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Lesson98
わたしは、神ので救いの計画におけるわたしの役割を受け入れます。

Lesson99
救いは、ここでのわたしの唯一の役割です。

昨日、今日と、このアイディアを繰り返し練習。
このところ毎時5分間のエクササイズなので、仕事中はなかなか難しいが、なるべく仕事しながら、ブツブツ呟いたり、紙に書いてみたり…時に席を外してみたり、

ここに出てくる、わたしの役割である救い=赦しって、なにを救い、赦せばよいのだろう。たぶん、頭で考えて出る答えではなく自然に導かれるものなのだろうと思いながらも、ついつい考えてしまう。

そんな中、昨日、今日と、色々な場面で現れる数字の存在に氣が付く。

「893」

仕事柄、さまざまな管理番号を使いこなしているのだけれど、末尾がこの並び、今日はたくさん見てしまった。

あと、8888、999、333
最近は、1111、444、555も良く見る 。

それで、893のエンジェルナンバーを調べてみたら

アセンデッドマスターは、あなたの美しく聖なる人生の目的をサポートするために必要なものは何でも必ずもたらしてくれます。使命に関することなら何でも彼らに助けを求め、助けを受け取ることに心を開いてください。

実践編は、
あなたはアセンデッドマスターと深いつながりをもっています。彼らは聖なる人生の目的に沿ってあなたを支援し導いてくれています。

となっている。

奇跡のコースは、キリストが本当に伝えたかったことだから、このアセンデッドマスターってキリストじゃんね。安心して学びなさい…ってことなんだね、きっと。

あと、893は、白山(はくさん)とも読めるらしく、白山といえば菊理姫。
両親の供養を頼んでいるお寺さんが白山とも繋がりがあり、前から行きたいと思いながら、まだ白山だけ行ったことがないので、ちょっと氣になってます。そろそろ登るかな…。

数字は楽しい。
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1年ほど前から縁あって、両親に捧げる御線香を求めて、数ヶ月に一度浅草観音にお参りをしている。

御線香を購めると、一緒に浅草寺の小冊子もいただくのだが、それが奇跡のコースの学びにも通じていて、とても面白い。

今日は、天台宗の行法の骨格をなす「止観」についての記述を読んだ。

「止観」とは、周囲や外界から影響を受けて落ち着いていない心の動きを止めて精神を安定させ、正しい知恵によって対象を観察する実践法。

何か高度な悟りに至ってはじめて真理が顕現するのではなく、煩悩まみれのいまの現実こそ真理そのもので、何ら特別な状態ではなく、日常の自分の心そのものに向き合い、自分自身の心の働き自体をあるがままに観察することが大切であり、真理はどこにでも満ちている…とのこと。

今日の、奇跡のコースのアイデアは
「わたしはスピリットです」

この言葉を口に出した瞬間に、自分がエネルギーに満たされていくのを感じる。
すると、この後に続く、「スピリットであるわたしは…」というスピリットである状態を顕す言葉がスーッと自分の中に入ってきて、心地よく、元氣が出てきて、もっともっと、その言葉で自分を満たしたくなる。

わたしの言動、心の動き、常にこれを観ているのはスピリットであるわたし。自分自身の心が信頼できるよう、これからもワークを続けよう。
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今日のアイデアは

「救いは、わたしの唯一の自己から来ます。」

朝から、この言葉を何度となく繰り返し自分に浸透させる。

会社からの帰り道、ふと、「わたしは他人の期待に応えたい」と思っているのではないかと閃いた。
でも、その思い(おもい)は、私にとって、とても重い(おもい) もので、それは真の自己からのものではないのだということが腑に落ちた。

誰かから求められるのは、とても嬉しいことではあるのだけれど、「こうすれば、みんなが喜ぶ。
こうすれば喜ばれる。」という思いにしばられている自分を見つけてしまった。

じゃ、わたしが満足することは…と、シンプルに考えたら
途端にスーッと氣持ちが軽くなった。

自分が自分を嫌いにならなければ、誰かから嫌われてもいい。
真の自己が求めるほうに進もう。
それは相手の内側の問題なのだから。

そして、わたしは自分の弱さも見てしまった。
挑戦して、上手くいかなかったり、失敗したり、挫けてしまったりするのが怖くて、程の良い理由を使って逃げようとしている。それに氣づいてしまった。

そういえば、同じようなことが過去にもあり、思い切って自分が進みたいほうを選んだ結果、みんながハッピーになったことがあったっけ!

必然と答えは出たのかもしれない。


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GWは伊豆での合宿だったので、ワークも思うように進まず。それでも、少しずつ、自分のペースで学び続けてはいる。

合宿でたくさんのステキな人達と一緒にいたせいか、ジャッジをしてしまい、自分に対しての否定的な想いがどんどん膨らみ、少し苦しく感じる。

でも、今日のレッスン95を開くと、

「あなたは自分を神の創造物のこっけいな模倣品で、弱虫、意地悪、醜く、罪深く、みじめで、苦痛に悩まされていると思っていて、これらはあなた自身についてのあなたの解釈です。」と、書かれていて、今の私を見透かされているようだ。

今日は、父の命日だったので、墓参りへ。毎月墓参りをしているが、今月は母の命日もあるので2回墓参りに行くことになる。

我が家の墓石には「感謝」という文字が刻まれている。他の理由もあるが、一番は私も含め、お参りする人達が日々の感謝を忘れないようにという願いも込めて、石屋さんに彫っていただいたものだ。

今日は、墓の前でワークもしてみた。

「わたしとは、 わたしの創造主とひとつに結ばれた真の自己のことです。」

父も母も私にとっては創造主。私はこの人達の元で暮らしたくてここに産まれたんだけど、果たして、それって何のためだったんだろう?生かされているということは、まだ役目があるはずなんだよなー、じゃあ、その役目とは何なのだろう…。

この1週間で、私には決めなければならないことがあるのだけれど、自分の役割を果たせるほうに、エゴが産み出す幻想ではないほうに答えを見出せるよう、奇跡のコースのワークと共に歩んでみよう。